2024年に視聴した映画短評(その2)

*今年観た映画なので、今年公開の作品とは限らない。5点満点で最低点は0

 

・アリスとテレスのまぼろし工場 2.5
岡田麿里監督による劇場アニメ映画二作目。個人的にはイマイチだったが、前作(『さよならの朝に約束の花をかざろう』)は大衆受けする作品だったのに対し、本作は癖の強さを感じさせる作風で当然のように評価もかなり割れている

アニメ制作は「呪術廻戦」などで知られるMAPPA。呪術廻戦を観ればわかるように同社の技術力は高く、本作でも素晴らしい映像美を堪能できる

劇場アニメと言えば似非声優起用問題だが、本作にも芸能人が起用されている。但し、主要役はプロパー声優が務めているし、芸能人声優が超絶棒演技を披露することはない

岡田作品と言えば肉食系女子だが、本作の女子もかなり積極的。女としての武器を最大限に活かして、他の女(と言うよりメスと言うべきか)とのオスの奪い合いを制する生々しさが描かれているが、本作はそれに加えてフェティシズム的な描写もあってより性的な意味での男と女を意識させる

ただ、正直ストーリーはかなり薄い。そのせいもあってかなりテンポが悪く感じる。伏線回収と言うよりはちまちまと情報を小出しにしていると言うのが正しい。タイトルもぶっちゃけ何の意味もない。察しの良い人なら分かるだろうが、アリスとテレスの二人が主人公という訳ではない。一応それらしい言葉は出てくるが、それがストーリーや主人公たちの行動原理に結びついているようには感じられない

本作はかなりメッセージ性を意識していると思われる。主人公たちがいる世界が今の日本(特に地方)、まぼろしがバブルで工場の爆発はバブル崩壊。工場の爆発(バブル崩壊)を契機に権力を手にする佐上は宛ら竹中平蔵ってところか。まあ、本作では現実のバブル崩壊の寸前で時計が止まった設定になっているが、いつまでもバブルを引きずっていていいのかというメッセージに変わりはないだろう

本作の主人公たちは中学生なので若者たちの手でバブルに終止符を打って新しい未来を築いて行こうって感じなんだろうが、その肝心の未来を築くつまり元の世界に戻るために何をすべきかには殆ど触れていないので何となく戻っちゃった感じ。岡田が脚本が務めた『泣きたい私は猫をかぶる』でも終盤の冒険譚はイマイチ(多分、本人の脚本じゃない)なように冒険譚は苦手なんだろうな。だからストーリーに引き込まれない

前作でも岡田らしい”女”の描写はあったのだが、ストーリーを詰め込みすぎたこともあって場面場面はそんなに長くなかったので”生臭さ”が抑えられて家族愛というテーマが感じられたのだが、本作では内容が薄いぶん一場面がかなり長くて”生臭さ”が口一杯に広がる感じ。そのせいもあって家族愛はどこかに行ったように思える。足して2で割ったら良いバランスになりそうだが

もっと宣伝をしていればって声もあるが、とてもではないが万人にオススメできる作品ではないので低評価が増えるだけになっただろう。最近はキャラへの好感度が作品の評価に直結する人が多いが、そういう人たちにも本作は向いていないと思うし。(岡田信者が集う)ディナーショーで出されるブルーチーズのような作品だろう

 

金の国 水の国 2.7
岩本ナオの同名コミックをアニメ映画化。2017年の「このマンガがすごい!」オンナ版で1位になった作品らしいが、果たして如何なものか

アニメ制作は日テレ系列のマッドハウス鬼滅の刃や呪術廻戦のような圧倒的な作画ではないが、本作の世界観に合った作画で及第点だろう。アクションシーンが売りの作品ではないしね

本作の最大の特徴はヒロインの容姿だろう。男の方もパッとしないが、アルハミドの王女サーラはぽっちゃりと言うよりは(100kg級の)肥満体型。男のデブキャラは珍しくないが、女はあまり多くない印象。ポリコレ的な考えではないだろうが、別にヒーローやヒロインは容姿端麗でなければいけない訳じゃない

正直、ストーリー的にはさほど見どころがない。ご都合主義が目立つし。ただ、作画を含めてお伽噺的な世界観なので、お伽噺と考えればこんなものでしょって感じ。もう少し掘り下げてもって思うが、原作も全1巻だから深く言及されていないのだろうし、ダラダラしてテンポが悪いよりはこの位のテンポの方がアニメ映画としてもお伽噺としても良いのだろう

他に気になったのはコメディ要素が過多なこと。原作もこうなのかね。政治的な話もあるが、全体的にあっさりとした描写でそこまで生々しさを感じるようなことはないし、稚拙な演技もあって話の腰を折っているように思う

本作には例によって似非声優が起用されているが、ナランバヤル役の賀来賢人については序盤こそややぎこちない感もあるが、すぐに掴んだのか全体的には適度にメリハリの効いたいい演技だったと思うので特に言うことはない

問題はサーラ役の浜辺美波で、『HELLO WORLD』では只管ローテンションで押し切った感じだったが本作ではそうはいかず。普通のテンションでの台詞はいいとして、コメディやラブシーンになると思わず「あちゃー」と言いたくなる。本作は少女漫画的なテイストも強いが、肝心のラブシーンでこの演技ではねえ…

お伽噺的な世界観なので子供と観るにはいい作品かも知れないが、容姿イジリが厳しいのは気になる。キレるのではなくウィットに富んだ切り返しをするのは欧米では受けそうだが、日本ではね。某声優が某牛丼屋の発言を茶化したら炎上するような”文化”だからねえ

原作ではA国、B国だったのをアルハミドとバイカリに変えたのは良かったと思うが、安っぽい煽りの予告編は勿論、キャスティングや内容をもっと精査すべきだっただろう。『グッバイ、ドン・グリーズ!』といい最近のマッドハウス作品はブラッシュアップ不足が目立つ

 

・大雪海のカイナ ほしのけんじゃ 0.3
2023年の冬アニメとして放送された大雪海のカイナの続編。フジテレビ得意の”劇場版商法”だが、TVシリーズの出来が悪ければヒットは見込めないこと位分からんのかね

アニメ制作はTV版と同じポリゴン・ピクチュアズ。この会社は竪穴とか要塞みたいな階層構造や(荒涼とした)大地を描くのは得意みたいだが、雪とか水の描写は明らかに見劣りがする。本作はタイトル通り大雪海が舞台だけに作画の良さが伝わらない

ストーリーは本作のみならこんなものかなとも思うが、TVシリーズからだとあまりに薄いと言うかカタルシスがない。プラナトでの話がメインになるのは分かるが、TVシリーズのペースなら大海溝を越えて大軌道樹に辿り着くまでに6話位使ってもおかしくないからなあ。あっさりし過ぎだと思う

それと”天空の城ナウシカ”は何とかならんかったのかね。本作のポストアポカリプスっぽい世界観が感じられるのはTVシリーズの序盤のみなので、それがなくなるとジェネリックジブリ感が半端ない。今は作品の数が多いので少々似ている程度なら仕方がないが、本作の場合変える気がないとしか思えない

だって中盤で「こりゃバルス待ったなし」って思ったらその通りだし。選民思想で選ばれる側がビョウザンとリリハじゃねえ…。ビョウザンがムスカ、リリハがシータ、カイナがパズーにしか見えない。せめて三者の立ち位置を本家とは変える位はすべきでしょ

あとSF的見地がゼロなのもねえ。選民思想を抜きにすればビョウザンのしようとしていたことは間違いではない訳で、それを科学的根拠で裏付けてビョウザンを説得して選民抜きの方法で実現できれば、ラピュタもどきなストーリーにはならなかったと思うのだが

弐瓶勉が劣化したのかフジテレビの横槍が入ったからなのかは分からないが、正直あまりの駄作に失望を禁じ得ない。「BLAME!」は面白かったんだけどね。今作だけで見限るようなことはしないが、次回作がハズレなら完全に見限るだろう

 

・ウィッシュ 1.3
ディズニーの創立100周年記念作品。ディズニーに限らず、何周年記念作品ってハズレの予感しかしないのは気のせいか。アメリカではかなり不評だったようだが、実際のところどうなのか観てみることにした。ただ、世間の評価が高くても個人的にはハズレなのは良くあることだが、逆は殆どないんだよなあ…

本作の感想を一言で言えば”パッとしない”。画は地味だし、ストーリーは良く分からないし、ヴィランであるマグニフィコ王も国王が国のためになる願いを優先して叶えること自体は当然とも思えるし、一体どういう作品を作りたいんですかって感じ。最近のディズニー作品は良くも悪くもメッセージ性が強いが、本作では何を伝えたいのかも良く分からない

個人的な解釈はマグニフィコ王は現在のディズニーの幹部、スターは文字通りのスター。マグニフィコ王が国のためになる願い(ポリコレ)を優先することに不満を持つ輩が増えると、王は禁断の書(Woke)を開き人々を洗脳しようとし(従来の)スターを封印する。しかし、人々の声(歌声)が封印を解き、ロサス王国(ディズニー)はあるべき姿へ向かおうとする

そう考えるとCGによる手書き風の画や作品の最後に流れる往年の名曲は原点回帰ってことだろうか。昔に拘り過ぎるのも問題ではあるが、今のディズニーはメッセージ性(ポリコレ)に囚われ過ぎて肝心の作品自体の出来に関しては二の次なのが現実。メッセージなんて添え物。作品の出来が良ければ人々の心を打つ訳で、そういった点では原点回帰は必要なのかも知れない

 

・THE FIRST SLAM DUNK 2.0
そもそも期待していなかったので映画館では観なかったが、想像以上につまらなかった。おじさんなので流石にSLAM DUNKを知らないことはないが、漫画もTVアニメも見ていないし思い入れは全く無い

本作で唯一褒められるところは作画の素晴らしさ。モーションキャプチャを駆使してヌルヌル動くCG自体は珍しくないし、最近は手描きっぽいCG作品も出てきているが、両者が高い次元で融合している。漫画もTVアニメも平成初期の作品だしね。もろCGでは作品の世界観を損ねると思うので、作画にはかなり拘ったのだろう

公開直前の声優交代発表は物議を醸したが、TVアニメ版を知らないこともありあまり違和感はなかった。ただ安西先生はねえ…。某ドラマの山下真司のような”熱血漢”ではないにせよ、何年か前までは鬼コーチと恐れられた人物なんでしょ。あまりに去勢されすぎて隠居老人って感じ

あとバスケットボールのルールが今と違うので違和感があったけど、これは仕方ないかな。今のルールに合わせて改変するのは地味に大変そうだし、原作ファンが怒り出しそうだしでやる価値はないだろう

で問題の中身だが、誰に向けて作った作品なんだろうと思った。基本的にはSLAM DUNKのファン向けだろうが、SLAM DUNK知名度はかなり高く、筆者のように漫画もアニメも見ていない人、できれば若い人たちにも観て欲しいと思っていただろう

TVアニメ化されていないらしい”あの試合”を映画化したのは予想通りだが、おまけがねえ。チマチマ挟まる回想が試合の流れをぶった切る上に内容が陳腐。ぶっちゃけこいつらDQN集団じゃん。DQNの泣かせる話とか全く興味がない

それに何故宮城(リョータ)。せめて桜木(花道)じゃないの。まあ、桜木の”紙芝居”もあるけどw。ガチ勢の分析によれば宮城をフィーチャーしたのは原作での宮城の扱いが小さいからだろうとのことだが、これでガチ勢は満足なのかね。試合もエピソードもどちらも中途半端。映画の尺では全員は扱えないし試合は予定調和に決まっているから、少しでも宮城に感情移入することでファン以外の人も感動できるようにってことなのか。この程度のエピソードで感情移入できるとはとても思えないけど

誰かをフィーチャーは必要なかったと思う。ファン以外向けにメインメンバー5人の簡単なエピソード集を試合の合間に挟んで、顔と名前とキャラ(と背番号)が一致するように配慮すべきだったのでは。試合終盤の紙芝居で桜木が晴子目当てで(高校から)バスケを始めたことが示唆されているが、「桜木は初心者」っていきなり言われたって分からないでしょ

正直(映画基準で)並の作画なら1点だが、作画に免じて2点にする